« <東京地検> | メイン | 墓地について調べたので、書いてみます。 »

禁中並公家諸法度について調べてみました(うんちく

この法度は、徳川家康が金地院崇伝に命じて起草させた。慶長20年7月17日(1615年9月9日)、二条城において大御所(前将軍)・徳川家康、将軍(二代)・徳川秀忠、前関白・二条昭実の3名の連署をもって公布された。漢文体、全17条。江戸時代を通じて、一切改訂されなかった。

この法度の制定に先立ち、慶長18年6月16日(1613年8月2日)には、「公家衆法度」「勅許紫衣(しえ)法度」「大徳寺妙心寺等諸寺入院法度」を定めていたが、この法度によって、さらに天皇までを包含する基本方針を確立した。以後、この法度によって幕府は朝廷の行動を制約する法的根拠を得て、江戸時代の公武関係を規定するものとなった。

この法度は江戸時代を通じて改定される事は無かった。また、寛永8年11月17日には当時の後水尾上皇主導で「若公家衆法度」が制定された。この制定には幕府は間接的な関与しか行わなかったが、青年公家の風紀の粛正を目的とし、朝廷行事の復興の促進とともに公家の統制を一層進める事となり、禁中並公家諸法度を補完するものとなった。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.japan-data.info/cgi/mt/mt-tb.cgi/343

About

2007年09月26日 14:26に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「<東京地検>」です。

次の投稿は「墓地について調べたので、書いてみます。」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.34